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19歳の頃、聞いていた音楽や
敬愛していた小説家や
本物だと思っていた偉人。

19歳の頃、楽しかった事、
悲しかった事、辛かった事
苦しかった事。

 
窮屈で退屈でセンチメンタルなスクールデイズを飛び出して
やっと自由を手に入れた僕。
いろんなバイトをして
いろんな恋をして
いろんな映画を見た。

手に入れたものはたくさんあるけれど
実は失ったものの方が多い。 
 
今それらに気がついたのではなく
失っていく過程までもきちんと覚えている。 


何年かぶりに古い付き合いの友人と電話をした。

当時、彼女は高校生で、僕が描きたいすべてを持っていた。

放課後、チャイム、授業。
淡ーいエピソードや、やたらと敵キャラな先生。
さぼって遊びに。見つかって怒られて。

僕の興味を示している事を、聞けば聞くだけ答えてくれて
時々同感したり、反論したり。
彼女の発言や意見や考えは、
僕が映画を作るうえですごく刺激になった。

いい意味で気を使う事を知らなくて
人見知りな僕でもたくさん話ができた。


今思ったら、僕の映画に出てくる女子高生の
口や態度が悪いのはきっと彼女の影響だと思う(笑)

そして、
当たり前だけど、人間年を取るし
逢っていない間に月日は巡り、状況も変わる。

気がついたら彼女は、もう高校生じゃなかった。 


「もう、高校生じゃないんだよ」


その言葉を聞いたときに、

19歳の頃に読んだ
桜沢エリカの「掌にダイヤモンド」を思い出した。 

細かい内容はすっかり忘れてしまいましたが
学校生活や友情を経て、最後のページに

「次の桜が咲く頃、もう、私は高校生じゃない」

と締めくくっているのがすごく印象深くて
未だに最後のページのコマ割りを覚えている。
 

19歳の頃に読んだ「掌にダイヤモンド」は
日常的すぎてちっとも刺激的じゃなかった。
それでも、最後の言葉がずっと脳裏に焼き付いていて
引っ越しの時に大量に捨てた漫画から
厳正な審査を経て、未だに手元にある。
 

彼女からそっくりそのままの、その言葉を聞いて
あの言葉の持つ、重みを感じた。
 
もう高校生じゃない彼女は、 
当たり前のように制服は着ないし、校則に縛られる事はない。
自由を手に入れて、時間を好きなように使い、
オリジナルなメイクを生み出し、着たい服を着て 
一生懸命恋をして、彼氏もできた。 

早く二十歳になりたい、と彼女は言うけれど
その生き急ぐ感じすらも新鮮で、懐かしい。

僕はやがてくる30代という大台に
すっかりビクビクしているのに。


「26歳くらいまでは遊べるよ」
と人生の先輩ぶって答えてやると 
「やった!」と喜ぶ。


彼女もいつか、この日の会話を思い出すのだろうか。

僕が桜沢エリカの「掌にダイヤモンド」を忘れられなかったように。


磨いたら磨いた分だけ、きちんと輝いて 
たまに化学反応、変色なんてもしちゃったりして、
無くしても無くしても、次の日にはちゃんと必ず枕元にある。
不思議なヒカリとキラメキを備え持ち、
掌のなか、強く、ぎゅっと握っても
痛くない、自分だけの、

ダイヤモンドに。




 

掌にダイヤモンド