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もう随分と前の話。
記憶の片隅にずっとずっと引っかかっている事。


京都タワーに登って、京都の夜景を眺めた夜。
「向こうが私の家だよ」と、その細い指先が指すその方向を
大きな望遠鏡で眺めた。

たくさんの光の中で、「向こう」という言葉が指す場所を
僕は捉えきれなかった。



数ヶ月後、
今度は東京タワーに登って、東京を一望した。
「向こうが俺の家だよ」と、ビルの遥か向こうを指差した。
大きな望遠鏡で塞がった二つの綺麗な瞳を見る事も出来ずに。

僕はきちんと「向こう」を示す事が出来たのであろうか。
その先に何があって、どんな事件があって、結末まできちんと提示できていたのだろうか。



清水寺からの帰り道。
藍色の空に浮かぶ黄色い月を見て
「月が綺麗だね」と呟いた。

いつものか細い声で、
消えるような吐息に似た発声で、
こんな月の夜に相応しい音色で。

夏目漱石を知ったのは僕の方が先だったはずなのに。


あの日、京都タワーで指差したあの場所は、きっと間違いはなかったんだと思う。
でも、東京タワーで僕が指差したあの場所は、きっとでたらめな場所。

もしかしたら、あの夜、月は綺麗でなかったかもしれない。
醜く欠けて、とても直視できるような状況だったのかもしれない。
それでも、綺麗だと言ったのにはきちんと理由があったんだと思う。
漱石が好きな僕に対する、極上のプレゼントだったんだと思う。




もう随分と前の話。
記憶の片隅にずっとずっと引っかかっているのは、

碁盤の街と、翳った月。